つぶやき

2009年5月 9日 (土)

認める

Ts3d0508 (とかちプラザからの景色)

子供の姿をみていて思います、

自我が育ってくるということは、「自分が正しい」という思いが育ってくること。

それは、そのまま、自分の間違いを認めることを拒絶するようになること。

「愛されている」「自分は生きていていいんだ。」「棄てられないんだ。」という

強い思いがなければ、自分の間違いを認めることは、自殺行為。

日常どれだけ、「おにぎりマン」ができているかが大切ですね。

(ってわかりにくい話でした。)

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2009年5月 1日 (金)

同じことの繰り返しの人生(人生,重複同様的事情)

このままどこまでも日々は続いてゆくのかな・・・・

大阪出身のソングライター川村結花さんと、スガシカオさんの詩による名曲

「夜空のムコウ」の歌詞からです。(小田和正さんのヴァージョンでお楽しみ下さい。)

同じことの繰り返しの人生、なぜ生きる。問いかけずにおれませんね。

「真の知識にあうことは
 かたきが中になおかたし
 流転輪廻(るてんりんね)のきわなきは
 疑情(ぎじょう)のさわりにしくぞなき」
(親鸞聖人)

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2009年4月28日 (火)

教えてくれてありがとう!(子供)の1

090428_121501(今日は、芽室町めむろーどにて講座でした。)

(日曜に降った雪で、また真っ白になった日高山脈が見えます。)

※「教えてくれて有難う」と感謝の言葉を綴りたいのです。

どんなことからも学べるとつくづく思う。

子供から学べることもいっぱいあると思う。

~彼は、子供が生まれたとき、外国にいた。

 約半月、ずっとずっと会いたい思いをおさえていた。

 初めて会ったときは、言葉にならないほど嬉しかった。

 その時、彼は思った。

 弥陀は、その何億倍も、俺に会いたいと呼び続けて

 おられるに違いない~

 深深得知人可以学習從周圍所有的

 從小孩,当然可以学習

 他的兒子們生下来的時候在外国

 大約半個月他一直一直很想看他們但蔵起来這個念頭

 第一次看到他們的時候,他太高興而忘掉一切語言

 那個j時候他感受到

 弥陀抱著幾億倍的「很想看你」的心情一直待等「遇見」

 ~乱寫了,看不懂的部分,請告訴我(^o^)

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2009年4月27日 (月)

わからない

浜田省吾つながりでもう一つ。

~おれにはどこか心に欠けたところがあるのかふれるすべてを壊しちまう
強さなのか 脆さなのか わからない
でも気付けば大切なもの いつもおきざりにして~
                     「悲しみの岸辺」

人付き合いの苦手な彼は、ずっと、そんなことを思い続けてきた。

今も。その心が救われることがあるのだろうか。

親鸞聖人に聞きたい。

「悪性さらにやめがたし
 心は蛇蠍のごとくなり
 衆善も雑毒なるゆえに
 虚仮の行とぞなづけたる」

「小慈小悲もなき身にて 
 有情利益はおもうまじ
 如来の願船いまさずは 
 苦海をいかでかわたるべき」  (親鸞聖人)

Marusei

六花亭のお菓子で一息。

   

浜田省吾の、 「悲しみの岸辺」は見つからず、アマチュアの方が歌っているものを張ります。

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2009年4月25日 (土)

打ち破れ(打破!)

23年前、オリコンチャート1位の浜田省吾のアルバム、J.BOY

タイトル・トラックの「J.BOY」は、この国と、この国の若者達の未来に

問題定義をしています。

~仕事終りのベルに とらわれの心と体 取り返す
夕暮れ時 家路たどる人波
おれはネクタイほどき 時に理由もなく叫びたくなる 怒りに
J.Boy 掲げてた理想も今は遠く
J.Boy 守るべき誇りも見失い

果てしなく続く生存競争 走り疲れ
家庭も仕事も投げ出し 逝った友人(あいつ)
そして おれは心の空白埋めようと
山のような仕事 抱え込んで 凌いでる
J.Boy 頼りなく豊かなこの国に
J.Boy 何を賭け 何を夢見よう~

あのころの、20代は、いまは、アラフォー、30代は、アラフィフ

この現実を打ち破ることができたのだろうか。

苦しみの連続の人生「なぜ生きる」

親鸞聖人に聞きたいのです。

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2009年3月 4日 (水)

人生の目的

Ts3d0317 高校時代に親鸞聖人から人生の目的を教えて頂いた。こんな大事なこと、大学生のお兄さん達は、みんな考えていると思って、自分が大学生になったら、みんなに話したら「人生の目的なんかいらないよ。」という答えばかり。「なんだこいつら」と思った。

でも、それから、20年、世間のいろいろな苦労を見せてもらい、自分も結婚して子供を持ち、「人生の目的」を考え続けることが、いかに大変なことか、ますます知らされます。よほどの仏縁がなければ、考え続けることができないこと。そして、「なんだこいつら」と思ったことを反省した。仏縁があって、親鸞聖人とのご縁があって、本当は、「人生の目的なんかどうでもいい。」と思っている私が、考えている。あらためて仏縁に感謝です。

(浄土真宗親鸞会講師の加藤恒人です。)

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